【家庭で実践!ミラコラ的キャリア教育のススメ vol.6 】 〜こどもの言動を信じない〜
【家庭で実践!ミラコラ的キャリア教育のススメ vol.6 】
〜こどもの言動を信じない〜
みなさんこんにちは
ミラコラ代表の山田です。
このコラムは
「普段のキャリア塾にて”ミラコラが大切にしていること”」を
みなさんに共有し
ご家庭での実践のご参考にしていただくためのものです。
一緒に学び合っていきましょう^^
さて、今回のタイトルは
こどもの言動を信じない
え?信じないってどういうこと?
なんかミラコラらしくないのでは???
と思う方もいらっしゃるかもしれませんが
正確に言いますと
こどもの「表面的な言葉や行動」を信じない
ということです
例えばのエピソードで言いますと・・・
社会人研修でのエピソードが分かりやすいので
そちらで共有しますね
ある若手社員がいまして
研修中にこのように愚痴を言っていました。
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いや、お客さんに対するモチベーションは正直高いんですよ。
でも、なんだか心が満たされないんです・・・。
だって、これだけお客さんに喜んでもらっても、
これだけ成果をあげても、
会社から評価をされないんですよ。
優秀賞にも選ばれないし。
お給料も上がらないし。
僕は、
「ありがとう」だけじゃ満足できないんです。
形にのこる評価をされないと
満足できないんです。
なんのために働いているかって?
そりゃお金のためですよ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
とのこと。
はい。
この言葉だけを表面的に聞きますとね。
なんやねんっ
「お金のためだけ」に働いているの?
給料に成果が結びついてないからモチベーションダウンしているの?
現実主義だなあ・・・。
承認欲求に依存しているなあ・・・。
と受け取りがちですが。
実はそうではありませんでした。
研修コンテンツの中で、
「上司からのサプライズの手紙」
というのを準備していました。
事前に上司にお願いして、
部下へのお手紙(メッセージ)を書いていただき、
研修当日にサプライズで渡すというコンテンツです。
彼へのお手紙には、
ものすごい長文で、
彼の仕事への感謝と評価が書かれていました。
・仕事にたいする姿勢
・たった一人のお客さんに対しても
マメに対応する姿
・お客さんに喜んでもらおうと一生懸命
改善提案をしている姿
・そして、それが会社にとっての利益に
なっているということ
部下のことをよーく観察していないと
書けない手紙。
そのお手紙を読んだ彼が
どんな様子だったかと言いますと・・・
「す、すみません・・・。」
といったまま、
しゃべることができないくらいに、
目に涙を浮かべていました。
彼は何回も何回も
その手紙を読み返していました。
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こんなにも、僕のことを見ていてくれてたなんて。
気づきませんでした。
僕は、この仕事が楽しくて、
やりがいがあって、
お客さんに喜んでもらいたいと思って、
がんばってきました。
でも、会社の役にたっているんだろうか?
上司の役にたっているんだろうか?
このままの仕事で、
ぼくは正しいんだろうか?
本当にこのまま進んでいって大丈夫なんだろうか?
それがわからなくて、
不安で不安でたまらなかったんです。
でも、
今までぼくがしてきた仕事は、
間違ってなかったんだ!って。
この手紙を読んで、
確信がもてました。
おれ、もっと頑張るっす!
おれ、もっといい仕事します!
もっと会社の人の役にたつ提案しまくります!
そして、この上司への恩返しのためにも、
絶対に新人賞とりますよ!
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彼の言葉には
たましいが入ってました。
すーっとなにか囚われがなくなったように、
清々しい表情をしていました。
そして、力強く、
躍動感がみなぎっていました。
彼は、つい先ほどまでは
「お金のため」に働いている
と話していましたが、
お金のためではなかったんですね。
自分が社会の役にたっている
その実感ができていなかっただけでした。
自分自身を信じられてなかっただけでした。
「上司からの評価」
この言葉だけをみると、
単なる外発的動機付け(外発的承認欲求)でしか
ないんじゃない?
と思いがちですが、
その外発的動機付けのおかげで、
真の動機付け
「内発的動機付け」のきっかけになることはよくあります。
ただ、間違ってはいけないのは、
表面的な言動や行動だけをみて、
「外発的動機付け」の方法を
見誤ると、
「内発的動機付け」が発動するどころか、
むしろ閉ざしてしまう・・・
なんて危険性もあります。
今回の彼に関して、もし、会社が、
「お金がモチベーションなんだったら、
ボーナス増やしてあげよう!」
と安易に金銭的評価をしていたら・・・
彼は、
今回のような「心の情動」に気づくことなく、
お金でしか動けない人になってしまっていたかもしれません。
そう!
相手の表面的言動や行動をみるのではなく、
相手の「本来性」をみること!
あらためて
この大切さを感じました。
こどもたちも同じです
例えばですが
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「ミラコラ日誌を書きたい」
と言いながら全然書かない・・・
「あいさつあふれる社会にしたい」
と言いながら自分はあいさつをしない・・・
「世界を平和にしたい」
と言いながら何も行動をしていない・・・
このゴミ片付けておいてよ
とお願いすると
「えー、それ私が出したゴミじゃないし」
と他人事の発言をする
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こんな言動(言葉や行動)を表面的に見ると
なんなの?口だけ?
そもそもやる気ないんじゃないの?
なんなの?自分のことしか考えない子ね
と、イライラしてしまう
そして「この子はこういう子」とレッテルをはってしまう
しかし
日誌が書けない理由を細かく聞いていくと・・・
→ただ、時間をつくる方法を知らなかっただけ
→ただ、意識化する方法を知らなかっただけ
あいさつをしない理由を細かく聞いていくと・・・
→自分はあいさつをしているつもりだった
→声が小さいという自覚がなかった
行動をしてない理由を細かく聞いていくと・・・
→いやいや、実は影で自分なりに行動をしていた!
なぜ他人事なのかを細かく聞いていくと・・・
→「ありがとう」をあまり言われて来なかっただけだった
→損得勘定の心が育まれてしまっただけだった
→「人のお役に立つ喜び」をただ知らなかっただけだった
このように
こどもの「表面的な言葉や行動」だけで判断をすると
大きな間違いを犯してしまう
人は生まれながらに
「公共心=本来性」を持って生まれてくる
理屈抜きに
◯キレイな花を見たらキレイだなあと思う心
◯成長したいという心
◯お役に立って相手が喜ぶ姿を見たら嬉しくなる心
◯困っている人がいたら助けたいという心
誰しもがこういった「公共心=本来性」を持っているのです
こどもの「表面的な言葉や行動」を信じるのではなく
こどもの「本来性(公共心)」を信じる
そのためにはですね
①まずは相手に「本来性(公共心)」が必ずあるということを信じること
②そして「本来性」に問いかけること
③そのために、こどもを「よ〜く観察する」こと
④目に見えない「本来の姿」を心の目でじっくり見ること
⑤あたたかい心で見守ること
⑥そしていつまでも「本来性」に問いかけ続けること
表面的な言葉や行動に左右されて
「あー、この子はこういう子なのね」
「この子はダメね」
とレッテルをはった瞬間にその子の「本来性」は引き出せません。
むしろ閉ざしてしまうことでしょう
ミラコラでは
こどもたちの「本来性=公共心」を信じ
「本来性=公共心」に問いかけ、そして引き出す
これを大切にしています。
そして!!!
何よりも一番大切なのは
私たち自身にも
「本来性=公共心」があるんだ
と「自分を信じる」こと
本来性でないと相手の本来性は見えませんから
本来性で問いかけないと相手の本来性は応答してくれませんから
こどもの前に、まずは自分から!
ってことかも知れませんね
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<バックナンバー>
vol.1 こどもへの問いかけ 〜どこに着目するのか?〜
vol.2 重要感を持たせる
vol.3 ミラコラ的キャリア教育ってなんなのさ?
vol.4 「気づくチカラ」を育むこと①
vol.5 「気づくチカラ」を育むこと②