代表ブログ

201963

小学生版「WPH」〜200年先の幸せを考える勉強会〜

ミラコラ合宿のラストのパートとして、

小学生版「WPH」を行いました。

 

ミラコラ合宿1日目 〜こどもは楽しむ天才〜

ミラコラ合宿2日目 〜「200年先を思いやれる人」が育つ場所〜

 

WPHとは

Way of Public Happiness (公共幸福の道)の略

ミラコラアドバイザーの荒木さん、タナットの山岸さん、

アクラム勝谷さん、スリーナイン島野の島野さんと、

私、ミラコラ山田の5人で「一般社団法人WPH」立ち上げました。

 

通常は、

経営者や社会人の人たちと勉強会をしているのですが、

今回はミラコラキッズたちと学ぶ小学生版!

「自然の中での対話の会“私たちの公共幸福の道” 〜ミラコラ版WPH〜」

 

ミラコラアドバイザーの荒木さんに

進行をお願いしました。

 

テーマは「思いやり」

 

先日、実際に学校教育の道徳教育にある

「手品師」の教材を題材として、

道徳教育は本当に道徳的なのか?

をテーマにディスカッションをしました。

例の道徳教材をミラコラキッズに試してみた

 

今回は、その延長戦として、

「思いやりは公共幸福になるのか?」

について深掘りをしてみました。

 

超簡単にかいつまんでお伝えすると、

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今ここにミラコラキッズが8人いるでしょ?

みんなリンゴを食べたいとしましょう。

ここに、リンゴが3つあったとしましょう。

皆さんなら、どうする?

 

「ジャンケンする〜」

 

ジャンケンって「思いやり」ってある?

 

うーん、確かに。思いやりはないね。

じゃ、

「リンゴを切って分ける〜」

「リンゴをジュースにして分ける〜」

 

なるほどねー。それもいいねー^^

じゃあさ、さっき山岸さんと一緒に学んだ

「200年先のことを考える」

をつけくわえると、どうかな?

 

あー、確かに。

私たちのことしか考えていなかった。。。

200年先を考えるのであれば、

リンゴを植えてリンゴの木を育てる!

さらにリンゴ園を作って

200年後の人たちにも喜んでもらう!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

というようなディスカッションを

みんなで行っていたわけです^^

 

荒木さんはキッズたちに問いかけます。

 

さっきの山岸さんへのプレゼンは

「思いやり」を持てた?

 

うーん、思いやりを持って提案したと思うけど・・・

 

その思いやりは完璧だった?

 

うーん、完璧と言われると・・・そうではないと思う。

私たちは「楽しい」と思ったから

その提案をしたんだけど、

他の人たちも「楽しい」かどうか?

までは考えていなかったかもしれない。

ましてや、200年後の人への思いやりはなかった。

まだまだ思いやりが足らなかったかもしれない。

 

まだまだ思いやりが足りかなったと思う

 

このように、素直に足らざるを認めて、

より成長して行こうとする姿勢は本当に尊敬します。

同時に、

どこまでいっても発展途上し続けることこそが公共幸福の道であるということを再認識しました。

「俺は分かった」

「俺は完璧だからみんなに教えてやろう」

これは傲慢の始まりであり、

「俺は分かった」と言った瞬間に学びも成長も止めてしまうのでしょうね。

 

さて!

やはりミラコラ合宿は

歴史に残る日となりました!

ミラコラ「5つの思考法」に新たな思考法が誕生しました!

名づけて

200年後思考

 

どんなことを考えるにも、

どんな行動を起こすにも、

「この行動は、200年後の人たちは幸せになるかな?」

と判断基準を設けるだけで、

思いやりが深く、広くなって行くのです。

 

全員がこの200年後思考を持って、生活し、

事業をつくり、人を育て、街をつくっていけば、

間違いなく、

公共幸福社会が一層広がっていくはずです。

 

小学生であるミラコラキッズたちと

この淡路島で、

この学びができたことが最高に幸せでした!

 

 

 

もっと詳しい情景描写を

荒木さんがメルマガを書いてくれたので、

転載させていただきます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今日も昨日のミラコラでの気づきを受け取り直したいと思います。今回は午後からのワークショップ「自然の中での対話の会“私たちの公共幸福の道”-ミラコラ版WPH」がありました。これがこの合宿での僕の一番の大役でした。山田だんから、この時の進行役を頼まれた時は、とてもワクワクしました。

今、WPHがやっていることを子どもが中心にどのくらいできるのかということは、僕自身想像がつきませんでした。公共幸福というもの自体が大人でもすんなりわかるものではないことは重々承知していました。みんなの幸せが私の幸せとか、ともに幸せになる幸せということはっきりと言えるのは、相当な経験を積まないと気づけないことだと思っていました。ただ、ミラコラに限って言えば、それができるんじゃないかという予感はありました。

合宿前に山田さんから、僕が取り上げた道徳教育に関するテーマをミラコラキッズがどう見たかというブログを読ませてもらいました
https://miracolla.jp/blog/5567/

結果は想像以上でした。国が考える道徳教育の枠組みに囚われない発想をミラコラキッズが持っていることを確信しました。それはより幸せになるためには、いかに自分が幸せであることをゴールにせずに、より開かれたことをしようとするかにかかっていることを、頭ではなく、肌感覚でキッズたちが掴んでいると思ったからです。

合宿一日目を一緒に過ごして、この子達なら、いけるかなと思った問いをワークショップで立てました。それは「思いやりは公共幸福になるのか」です。キッズたちに、思いやりって何と聞くと、相手をことを思って行動するという返事が返ってきます。じゃあ、自分は思いやりがあると思うと聞くと、そんなことは自分ではわからないと素直に言ってくれます。

ミラコラキッズが思いやりということをしっかりと掴んでいることを確認した上で、どんな時に思いやりがあると感じるという風に聞くと、誰もが、自分が困っている時に頼む前にしてくれたことに対して、思いやりを感じていました。逆に、どんな時に思いやりが感じられないかという風に聞くと、一番話題になったのが、学校の先生でした。学校の先生の行動が、子どもたちからすると違和感を感じるものが少なからずあることを知れました。

もちろん、これを知るためにやったわけではなく、大事なのは、他者に思いやりがないことを言えるよりも、自分にまだまだ足りないことがあるのではないかという風に気づいてもらうことです。そこで、このワークの前にやった、山岸さんへの提案について、今受け取り直してみると、自分は思いやりがあったと言えるかなという風に問いを立ててました。山岸さんがそばにいる中で、そのように聞くことは酷かなとも感じられましたが、山岸さんへの思いやりはあったという前提で、それ以外の人への思いやりはどうかという風に聞き直しました。

そうすると、キッズ一人一人が悩み出して、その末に、自分は思いやりが足らなかったという風に受け取り直していく子が続出しました。山岸さんに喜んでもらえるようなアイディアを考えるプロセスで、見過ごした人やものがあったことに気づいたのです。自分が楽しいと感じたことをみんなにも知ってもらおうという自然な感覚も大事ですが、それは自分以外の誰もが楽しいと感じられるかどうかはわからないという風に気づきが深まった子がいました。これは非常にすごいことだと思います。おそらく、彼らより年上の人たちは、自分が楽しいことをするのに何ら疑問を持たない人は少なからずいると思います。自分が良いことをしていると思っている時は余計にそうだと思います。それに比べて、ついさっきまで、自分が楽しむことに夢中になっていた子どもたちが、思いやりということを深掘りすることで、自分の足らざるところに気づけたのです。

ここまでの境地にくるとは僕自身も思っていませんでしたが、そこで満足できない僕自身の欲が出て、この気づきを一瞬で終わらしたくないという風に思いました。そこで、ミラコラで定番になってきた両面思考に加えて、新たに、200年後思考というのを提案しました。この元ネタは山岸さんですが、素晴らしいと思ったので、さっそく子どもたちが使えるようにしました。

もともと両面思考は、あらゆることには良いも悪いもあるということに気づくことに有益でしたが、その先にどうするかという点には踏み込めていませんでした。そこで、200年後の先にも喜ばれることをしようという思考を持つことで、両面思考がさらに活かせると感じました。もし小学生が200年後を意識して、今自分が何をすべきかを身をもって示していければ、これほど大人へのインパクトの強いことはないと思います。現に、このワークをそばで聞いていた山岸さんが子どもの受け取り直しに圧倒されていました。ただただすごいと。

子どもから始まる、大人も巻き込む公共幸福への道すじが見えてきたと思いました。本当に感謝です。

京都フォーラム共働研究員
MIK代表
荒木一彰

 

 

おまけ

公共幸福とたいそうなことをディスカッションしている反面・・・

ごく普通の無邪気なこどもなんですよねー(笑)

 

 

アーカイブ

PAGE TOP