【父の誕生日より】頭で考えた「モノ」ではなく公共心からの「物語」
5/2は父の誕生日でした。
73歳になりました。
73歳になった今も
お掃除会社の社長として、
現場の最前線でバリバリ活躍中の父。
・真面目にコツコツと誠実に
・創意工夫 なければ作る!
・まごころとは何か?
・感謝の心
大切なことを背中で教えてくれました。
生まれてきてくれてありがとう。
僕を生んでくれてありがとう。
こどもたちは大好きなじいちゃんのために
プレゼントを自作。
いつもながらに思いますが、
「誰かを喜ばせたい」からくるパワーって素晴らしいなあと^^
その純粋たるや!
いつも学ばせていただきます。
小1の息子はペットボトルを組み合わせて
巨大なキリンを作ってました(笑)
「そ、それ、じいちゃん喜ぶかなあ(汗)」
「うん!じいちゃん絶対に喜ぶよ!絶対に!!!」
そ、その自信すごいね(笑)
実際にじいちゃんにプレゼントを渡すと
じいちゃんはとても喜んでくれました^^
もちろんキリンが嬉しかったのではなく(笑)
本当に嬉しかったのは
孫が自分のために時間をかけて誕生日を祝ってくれたこと
プレゼントを渡す時の嬉しそうな表情
「モノ」ではなく
「プロセス=物語」を喜んでくれた
ということでしょうね^^
こどもたちがプレゼントを作っている姿をみていると
いつも気づきと学びをいただきます。
本来であれば、
相手のニーズはなんなのか?
これをもらって本当に喜ぶのか?
こんなのあげて意味あるのか?
なんて、考えすぎて、
眉間にしわを寄せてしまったり・・・
考えすぎて、結局やめちゃったり・・・
でも、こどもたちの姿を見ていると、
そんなことよりも、
とにかく「夢中」でプレゼントを作っている。
そこには
「じいちゃんが喜んでくれるかどうか?」
という結果に囚われ、
頭で理屈で考えるのではなく
「じいちゃんに喜んでもらいたい」という
内から沸き起こる情動のままの「行い」がある
この違いはとてつもなく大きいと感じます。
「じいちゃんに喜んでもらいたい」という
①自分の情動に一心不乱に集中する
②絶対に喜ぶはずだと信じきる
③気づくと、自然に素晴らしい手段が思い浮かぶ
④気づくと、夢中で行っている
⑤失敗したら工夫して改善する
⑤結果として、最高の物語となる
まさに、禅でいうところの
「今・ここ」への集中である。
雑念に惑わされたり、
後先に囚われたりしない。
そこには損得感情などなく。
純粋な「良心」「公共心」のみ。
もちろん、
大人が同じようにペットボトルの「キリン」をプレゼントしても
じいちゃんは喜びません。
人の心が動くのは、
「理屈で考えたモノ」ではなく「純粋無垢な心が生み出す物語」
商品開発も同じだと思います。
マーケティングが目的となって、
売ることを目的にしてしまうのか?
どうしたらみんなが幸せになるか?だけを考え抜けば、
結果としてマーケティング的なことをしているはず。
最高の手段が思い浮かぶはず。
もちろん「手段」も大切です。
ただ、目的を見失ってはいけない。
内からわき上がる「情動=公共心」を見失ってはいけない。
「手段の目的化」ではなく。
わきおこる「情動=公共心」にしたがい「行動」すること。
できるか?できないか?ではなく。
やりたいか?やりたくないのか?
やるのか?やらないのか?
頭で考えると心のブレーキに止められてしまう。
発想も貧困になってしまう。
心で感じたままに行動するのみ。
心が動くから考える。
心が動くから工夫が生まれる。
そして、
その心に「私欲」があれば失敗する。
その心が「公共心」であればうまくいく。
1.楽観的(情動=公共心)に構想する
2.悲観的に計画する
3.楽観的に行動する
この流れが大切ですね!
今回のじいちゃんへの誕生日プレゼントから
改めて「情動=公共心」の大切さを教えてもらいました。
ありがとうございます、感謝!
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