【将来世代へのメッセージ】「小学生時代の話」悔し涙から得た経験価値
全国子ども大正琴コンクール
というものに娘が参加することになったので
初めて新潟県長岡市まで足を運びました。
(遠かった・・・)
いわゆる大正琴の全国大会です。
あ、大正琴ってご存知ですか?
記念すべき令和元年の文部科学大臣賞を受賞した子の演奏が早速youtubeに上がっていました。
これが大正琴です!
とても素晴らしいのでもっと広まったらいいなあと^^
全国の競技人口はおそらく少ないはずなのですが
さすがに全国大会となるとかなりレベルが高い(驚)
満席のホールはシーンと静まり返りかなりの緊迫感
こんな状況で演奏するのはとても緊張するはずなのですが
みなさんとても気持ち良さそうに演奏をしていました。
文部科学大臣賞を受賞するかしないか?
ということよりも
緊張感満載の本番で
参加した子どもたちはとても堂々と!
楽しそうに感情を込めて演奏をしていました!!
感動!!!
みんな本番に強いなあ!!!
そんな姿を見ていたら
ふと
私の小学校時代のことを思い出したのでした。
以下、
将来世代(未来のこどもたち)
へ贈るメッセージ
初めての挫折体験。
1日に悔し涙を3回も流した
のは過去を振り返ってもこの日しかありません^^
小学校の頃の山田は
走るのが速く ←今では想像もつきませんが(笑)
運動会ではいつも目立つ存在。
愛知郡(当時)の陸上競技大会というのがあって
4年生の頃から学校代表で出場をしていました。
そして6年生になり、
やっと花形競技の男子100mに出場することになり。
当時の自己記録(小6)は
100m 13秒7
優勝間違いなし!
という記録を持っていたため
愛知郡の陸上大会では優勝候補として位置づけられていました。
小学校の陸上部の練習は地獄でした(笑)
真夏に「水は飲むな」
「何度もダッシュをさせられる」
「全力でやらないと先生に激怒される」
普通は夏休みはワクワクするはずなのですが
私たち陸上部は夏休みが近づくと緊張感が走るのです。
自信を持って言えます。
「あれ以上に苦しかった体験はない」
と(笑)
同級生に当時の話をすると
「その話はしないでくれ。思い出したくもない。」
と叱られます(笑)
えー、そんな地獄の練習をくぐりぬけたのですが
さらに努力の人だった私は
学校での部活が終わっても
家に帰ってから隣の空き地でスタートダッシュの練習をしたり。
毎日筋トレ
腕立て100回
腹筋100回
背筋100回
スクワット200回
これを毎日欠かさずやってました。
修学旅行中も欠かさずやっていた記憶がありますが、
今思うと呆れてしまいますね(笑)
まー、こんな練習はおそらく理にかなってなくて
効率も生産性も悪いんだと思いますが。
当時は、なんとかして記録を伸ばしたくて必死だった
のでしょうね。
でも、プレッシャーで「やらされていた」というよりも
ただ単純に好きで楽しくて「ワクワク」やっていた記憶があります。
「やらなきゃ」という感覚はなく
ただただ無心で練習をしていた感覚
無我夢中でした。
せっかく出場する機会をもらえるなら
全力を出し切りたい
理屈ではなく
素直な気持ちだったと思います。
さあ!そんな猛練習を経て
いよいよ本番当日!
しかし
予想もしないハプニングが起こります。
当時の会場は愛知県東郷町の陸上競技場
(愛知池の隣)
長久手市から乗り合いでタクシーで向かったのですが・・・
なんとタクシーの運転手さんが道に迷い・・・
ぐるぐるしながらなかなか会場に到着できない・・・
やっとのことで到着したのですが
車に弱い私は「車酔い」してしまい、
タクシーを降りると同時に
気持ち悪くなり・・・
吐いてしまったのです(悲)
なんだか体調がすぐれない・・・
予選が始まりました。
位置について〜
よ〜いスタート!
走り出すもいつものような爽快感がない・・・
いつものような伸びがない・・・
あれ?おかしいなあ?
必死で踏ん張るも
予選3位でなんとかギリギリ決勝に残る
タイムは14秒2(今でも鮮明に覚えてます)
優勝候補ということで
親もおばあちゃんも、近所の人たちまで応援に来てまして。
みなさん口を揃えて
「大丈夫?」
「なんか調子悪いの?」
「予選だから体力おさえてたの?」
などと、心配の言葉がたくさん浴びせられる。。。
自分自身にもどんどんプレッシャーがかかる
追い込まれる
次の種目は400mリレー
やはりいつものように走れない・・・
踏ん張りすぎたのか
左太ももに痛みが走る。。。
軽い肉離れの症状。。。
リレーメンバーからも心配される。
「足痛そうだね」
「大丈夫か?」
「先生に言おうか?」
当時の私は
キャプテンも任されていたため
「足を痛めたので代わってください」
などと言えない変な責任感があったのか・・・
「先生には絶対に言わないで。。。」
とメンバーの優しさを突っぱねる。
そして
100m決勝
位置について〜
よ〜いスタート!
体調が悪いのに加え
左足にも痛みをかかえさらに走る
もちろんいつもの走りはできない
結果は
14秒3で5位
優勝タイムは13秒6だったので
いつもの自己ベストを出していたら・・・
と悔しい気持ちしかない。。。
さすがに応援に来ていた親や親戚、
近所の人たちも声も
おそらく当時の僕の落胆ぶりに声もかけられない雰囲気だったと思います
左太ももはどんどん痛くなる・・・
最後の
400mリレー決勝は
キャプテンとしての責任感だけで
走りきった記憶しかありません。
他の競技のメンバーが頑張ったため
学校単位としては愛知郡で優勝!
キャプテンとして優勝フラッグをもらうも
無理やり笑顔を振りまいていた記憶があります(悲)
1回目の悔し涙
全校の得点ボードを見ていたときに
同じ学校のメンバーから
「なんでこんな遅いんだよ」
「お前の得点期待してたのに」
「俺はソフトボール投げで優勝したぞ」
と言われ・・・
涙腺が爆発してしまいました。
悔しくて悔しくてたまらなかったのです。
2回目の悔し涙
監督をしてくれていた先生から
「キャプテンとしてよく頑張ったな」
と声をかけられた瞬間に
涙腺が爆発してしまいました。
悔しさと申し訳なさでいっぱいでした。。。
まさにその瞬間の写真が残ってました^^
3回目の悔し涙
家に帰り、
父が声をかけてくれました。
「よく頑張ったな」
その瞬間に
またもや涙腺が爆発しました。
おいおい泣きました。
父ももらい泣きし
親子でおいおい泣きました。
翌日は
左足の肉離れが悪化し
病院へ直行。
松葉杖をついて学校へ遅刻していったのでした。。。
まー、
長くなりましたが
山田家の将来世代に残すメッセージとして(笑)
当時のことを今受取直すと
これだけ悔し涙を流せるほど努力をできた
ということを
まず当時の自分に褒めてあげたいなあと
涙には何種類かあると思いますが
1.悲し涙
2.感動の涙
3.悔し涙
4.うれし涙
「悔し涙」と「うれし涙」まで行くには
これまでのプロセスが大切
「もうこれ以上やれない」
「全力を出し切った」
という誰にも負けない努力し
いのちを使い切らないと出てこない涙なわけです。
小学校の頃の
負の経験は
今の自分に対しての大いなる経験価値となっています。
おかげで、
①やる!と決めたことへの瞬発力が高まりました。
もう無理かも知れない・・・から大逆転させれられる力がここで身についた気がします。
社会人になってからも
ギリギリまで踏ん張った先に、
神様が降りてきて奇跡的に乗り越えられた経験をいくつもしてきました。
②どれだけ努力をしても報われないこともあることを知れました。
「報われる、報われない」よりも大切なことがありますよね。
③無我夢中ってこういうことか!という自覚
大会の当日は散々でしたが(笑)
そこまでの練習のプロセスは毎日がワクワクし
いのちが躍動していました。
今思うと、「あー、あの時の自分は無我夢中だった」という自覚ができます。
この感覚を体で実感できていることは大きい!
そして
④負けた人の気持ちを知ることができました。
ずっと勝ち続けていたらどこかで天狗になっていたと思いますし
負けた人の気持ちもわからず傲慢になっていたかも知れません。
最後に
⑤勝つとか負けるとかよりも、プロセスの大切さを知ることができました
努力をしたり、工夫をしたり、頭を使ったり、
失敗しそれを乗り越えたり、決してあきらめなかったり
その中で起こる周りからのサポートに気付けたり
目に見えない「ご縁」があって今の自分がいるんだなあということ
⑤正の経験価値よりも、負の経験価値の方が将来の自分への宝物になる
今振り返ってみて
今の自分がここまで成長できたエピソードを思い出すと
ほとんどが「負の経験」のおかげだったという気づき
これは多くの企業研修をしていて
受講生に聞いてもみなさん同じ意見
未来のこどもたちへ
孫の孫のそのまた孫へ
これまでの人生を一度振り返って受取直しをしてみてください。
そして「負の経験」を見つけ、それを新たな価値に変えてあげてください。
そうするとね
「負の経験」だったというのは思い込みであって
全ては「正の経験価値」だったと気づけるはずです。
いや、もはや「正」も「負」もなく
全ての経験が、
「将来の自分」に必要な経験価値であり
「将来世代への最高の贈り物」になるべく経験価値である
と気づけるはずです。
未来のみなさん
もし今「負の経験」で苦しんでいるとしたら
先祖の私の声を聞いてください!
大丈夫だよ!
その負の経験
将来のあなたへの最高の宝物になるから!
そして、
あー、こんな先祖がおったんだなあと
記憶の片隅に残して置いてくれると嬉しいです。
そして、私のたましい(生きた証)が
将来のみなさんの叡智として、未来永劫生き続けていることを願っています。