代表ブログ

2019714

天才とは?を考える

とある小学1年生の子のピアノの発表会に

お誘いをいただいたので、

娘と息子を連れてみに行きました。

 

途中で間違ったり、

緊張してつっかえたりしながらも

こどもたちが一生懸命に演奏する姿は

とても微笑ましく、心が洗われます^^

 

そして、いよいよ

その小学1年生の子の出番。

 

どんな感じなのかな?

と思っていたら・・・

 

圧巻の演奏!!!

うーん、例えると、

こどもの野球大会にいきなり甲子園球児が登場するくらいのインパクト

うーん、例えが微妙(汗)

 

曲の美しさはもちろんのこと、

演奏している姿がこれまた美しい。

自分自身の心の中から

ワクワクする何かが溢れてくる。

演奏している小さなピアニストの世界観の中に

完全に吸い込まれていっている感覚。

心の中の邪念が全部逃げていき、

瞬でキレイになっていく感覚。

とにかく感動したわけです。

 

今までごそごそしていた

同じく小1の息子も

演奏に釘づけ。

 

完全に会場の空気を変えました。

「あ!この子、天才だ!」

 

演奏が終わると割れんばかりの拍手が起こる。

 

隣に座って聞いていた

小1の息子に感想を聞いてみた。

今の演奏、何を感じた?

 

小1の息子はこう答えた。

「なんかねー、何かが走り回っているような感じだった」

 

おー!それ感じたんか!すごいなあ。

そうそう、この曲は

子犬のワルツ。

まさに犬が駆け回っている様子が

音楽全くよくわからない小1の息子にも伝わっていたのでした。

 

やはりこの小さなピアニスト、天才だ!

 

素晴らしい発表を聞かせていただいた

小さなピアニストさん、本当にありがとうございました。

お誘いをいただいたお母さん、本当にありがとうございました。

 

帰り道に、自然と頭に湧いてきたのが、

 

「天才」ってなんなんだろう?

 

という問い。

 

世界大百科事典にはこう書いてある。

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生まれながらに備わった,平均をはるかに超える傑出した才能のこと。またそのような才能を持ち,それぞれの分野で比類ない創造性を発揮する人をいう。これにあたる英語のgenius,フランス語のgénieが,もともと〈守護神〉や〈守護霊〉を指すラテン語ゲニウスgeniusに由来することからもわかるように,古くはこういう神や霊が天賦の才をさずけてくれるものと考えられた。〈天才〉という漢語もまさに,〈天から分かち与えられた(すぐれた)才能〉を意味する言葉として使われており,初唐四傑の一人として華麗な詩風詩壇を圧した王勃の例がよく知られる(《新唐書》)。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

平均をはるかに超える・・・

 

という表現だと比較の話になってしまう。

 

この誰かと比較する

 

ことが現在の生きづらさの根源なような気がする。

 

漢語でいうところの説明の方がしっくりくる

天から分かち与えられた(すぐれた)才能

 

ここで「すぐれた」という点に着目してみる

 

すぐれているか?どうか?

は、お役にたつかどうか?

 

そういう意味でいうと

 

全ての人に「天才」の要素はあるわけです。

 

そして、

自分が天才かどうか?

いや、自分の中に天才の要素があるかどうか?

 

これは、

自分では気づかない。

相手がありがたいと思ったら

それはすぐれた才能。

 

 

天才は自分では気づかない

天才とは周りが気づくものであり、

周りが天才を育てていくもの。

 

 

天才を育てるためには

たくさんの「ありがとう」を見つけ、

そして「ありがとう」を伝えること

 

そんなことを感じた1日でした^^

 

 

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