キッズたちにも課題はたくさんあります^^
ミラコラ合宿を経て
ミラコラ合宿2日目 〜「200年先を思いやれる人」が育つ場所〜
毎回、ミラコラキッズたちから私が学んでいることをブログで綴っていますが(笑)
ミラコラキッズたちがスゴイ、とかスゴくないとか
そういうことではなく、
あくまで「学び手としての私」自身が
いつもこどもたちの中から「学び」を見つけて
「大人の私たちへの気づきと学び」として編集をしているため、
こどもたちはスゴイ!的な表現として見えるかもしれません。
間違いではないのですが。
こどもたちは
経験がないからこそ囚われがない。
囚われがないため、
心の奥底にある公共心がむき出しの状態。
だからこそ、素直に自分を改めようとするし、
一度意識するとすぐに行動を変える。
そういった素直な生き方だったり、
公共心あふれた発想や言動、行動に、
大人の私たちはいつも刺激をいただきます。
以前、ゴミを見つけてゴミがかわいそうって思ったにも関わらず。
ゴミを拾わなかったキッズがいました。
「あれ?かわいそうだと思ったにも関わらず拾ってないんだったら、
今もかわいそうな状態ってこと?」
と問いを立てました。
その子は、
「あーーー!本当だ。その通りだ。」
と、すぐにそのゴミを拾いに行きました。
その後、日常生活の中で「思ったら行動する」習慣に変わり、
親も戸惑うくらいに頻繁にゴミを拾って来るようになったそうです(笑)
先日のミラコラ合宿の際に、
ゲストとして遊びにきてくれた大人がこんなメッセージをくれました。
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そうなんです。
キッズがスゴイ!と言いたいわけではなく。
「大人の私たちが、こどもから学ぶことの大切さ」
をブログで伝えたいという意図の方が強いわけです。
では、こどもたち自身はどうなのか?
というと、
当然のごとく、
良いことばかりでもなく。
もちろん課題もたくさんあるのですよ!
先日のミラコラ合宿の際にも、
たくさんの課題が見つかりました。
無邪気さがゆえに、周りが見えず、
感謝の気持ちや気配りができていなかったり。
1年前のミラコラ合宿の時の約束
「タナットネイチャーラボにトイレを設置する」
山岸さんは約束を守って、
なかなか高額のコンポスト型トイレを
購入してくれました。
この点に関しては
山岸さんー、ありがとうございますーーー!
と感謝の言葉を伝えていましたが。。。
ただ・・・
トイレをおく建物がなく、
野原の真ん中でトイレをすることに(汗)
すると、キッズたちは、
えーーーーー。ここでトイレするのーーー。
無理、無理、無理ーーー。
と不平不満をぶちまける。
いや、わかるよ。わかる。
これだったら結局野原でトイレするのと変わらないからね。
でもね、でもね。
文句言い過ぎじゃないですか?
山岸さんの前で、
あまりにも不平不満で騒ぎすぎじゃないですか?
外から見えないように、
トイレの周りをみんなで囲んだり。
「あーーーーーーーーー」と叫んで、
消音効果を生み出したり。
確かに、工夫はしていました。
確かに、言葉では感謝もしていました。
でもね、
山岸さんは、
待っていたと思いますよ。
文句をいう前に、
ないなら自分たちで作れ!
未来は自分たちで切りひらけ!
野原のトイレを
隠すために、みんなで大工さんしようよ
とか。
自分たちだけでできなければ、
大人に手伝ってもらうとか。
いくらでも方法はあったはず。
もう1つ。
夜はバーベキュー。
大自然の中で食べるバーベキューはそれはそれは楽しいでしょう。
楽しむのは素晴らしいことなのですが。
調子に乗って。
肉を焼く大人に向かって
「肉焼けたら呼んでねー」
とお客さん感覚。
これにはさすがの山岸さんも
「そんなもん自分で見に来んかい、コラー!」
と少し冗談っぽく言ってましたが、
わりと本音だったと思いますよ。
というか、自分たちも肉を焼きなさい!
そうでなかったとしても、
普段会えない山岸さんや荒木さんがいるんだよ。
質問したり、お話ししたり。
せっかくの貴重な機会じゃないですか。
親のいない環境でのびのびとできて、
そりゃ楽しいのはわかります。
でも、よく考えてくださいよ。
これは旅行ではないよ。
合宿だよ。
山岸さんや荒木さんはキャンプ場のお店の人じゃないよ。
あなたたちはお客さんじゃないんだよ。
こういったシーンを見たときに、
私は、いつも心の声に耳を傾けます。
おい、自分自身の奥底にいる公共心よ。
お前ならどうする?
彼らに対する真の優しさってなんだ?今どんな行動を起こすことが真の優しさだ?
その心の声に従います。
まさに、キッズが言ってた
「思ったら行動する」ということ。
私は、キッズたちにこう問いかけました。
ねえ、みんな。
周りを見てみて。
この状況を見て何か思うことないかい?
僕はこう思っているけど、
みんなはどう思う?
こういった問いをキッズたちにすると・・・
こどもたちはとっても素直に
「確かに・・・、周りが見えてませんでした。」
「確かに・・・、自分勝手だったと思います。」
そして、すぐに行動を改めようと努力をする。
この素直な姿勢にはいつも心から尊敬します。
すると、2日目は、改善されて、
みんな一生懸命に自ら仕事を見つけて行動を起こしてました(笑)
こどもも大人も関係なく。
どんな出来事をも受け入れ、
全てを学びと成長に変えていくのがミラコラです。
なので、基本こどもたちは「自由」。
でも、「良心の自由」と「わがまま」とは違うと考えてます。
なんでもかんでもオールOKなのかというとそうはしません。
私自身の心の声「公共心(本来性)」にしたがって、
相手の「公共心(本来性)」に
問いを立てたり、フィードバックをしたり。
そして、一番大切なのは、
私自身にも矢印を向けること。
こういったことがあるたびに、
私は自問自答します。
感じたら即行動をした後に、
今の、問いは、本当に公共心からの問いだったのか?
自分のあるべき姿を押しつけていなかっただろうか?
自分自身のエゴではなかったのだろうか?
キッズたちが周りが見えていないのは、
私自身も気配りが足りなかったからではないか?
キッズたちが小さな感謝に気づけないのは、
私自身が感謝が足りないからではないのだろうか?
そもそも合宿の目的や重要感をうまく伝えられていなかった私の問題なのではないか?
・・・と、
結局は、いつものように、
キッズたちがどんな行動をしようと、
そこから私自身の学びにつなげるのでした(笑)
良いか悪いかはわかりませんが・・・
これだけは言えます!
私がキッズたちに見せたい背中は、
どこまでも学びを止めることなく、
常に学び続ける姿。
絶対にありえないであろう「道徳的完成」へ向けて
いつまでも発展途上し続けようとする自分のあり方。
to have から to be へ!
これからも、
こどもたちとともに!