代表ブログ

2019526

「ゴミひろい」から学ぶ

午前中は

地域のNクリーン活動(ごみひろい)に小1の息子と参加。

本日の会場は、西小学校!

私の母校(ふるさと)でもありまして。

理屈ではなく感慨深い気持ちが芽生えました。

 

 

小1の息子からすると、

ゴミひろいもある種の遊び感覚(笑)

ゴミひろい楽しい!!!と素直に楽しめる息子に感心と敬意を払います^^

 

しかしながら、

大勢で隊列を組んでゴミ拾いをするわけなので、

前の人たちがゴミを拾ってしまい、

正直さほどゴミは拾えない。

というか、そもそもそれなりに道路もキレイ。

だって学校の周りだから、誰かが普段からゴミを拾っいるのでは?

 

それはそれで、

学校の周りがキレイで、ちょっと安心しました^^

 

 

ところが。

 

イベントが終了して

息子と二人で歩いて帰っている最中に・・・

 

ゴミがたくさんーーー。

とくにタバコのポイ捨てがたくさん。

 

ゴミひろいイベントにて

ゴミを拾う「意識」

ゴミを拾う「清々しさ」

体感した息子と私は

いつも以上に道路に落ちているゴミが気になります。

 

イベントとは関係なく、

せっせと息子とゴミを拾いながら、

自宅への帰路を歩き続けました。

 

ここで大きな分岐点があるなあと思いました。

 

A ゴミひろいイベントが終わったら元どおり になってしまうのか?

W ゴミひろいイベントでの気づきを「行動」として日々の生活習慣として実践するのか?

 

A ゴミひろいを「ゴミ拾い止まり」にとどめてしまうのか?

W ゴミひろいから気づいたことを応用して、より深化&深化した行動を起こすのか?

 

いずれにせよ、私が思いますに、

こういったごみひろいイベントは

「ごみひろいが目的」ではなく、

「気づきを手段」として、

さらなる公共する生き方のきっかけとする大いなる機会創出にすることができます。

 

そのためにも

ただ行動するだけ」ではなく

そこに「公共する問い」を立て、

さらなる深化&進化させることが大切だなあと。

 

そうすれば

単純なゴミ拾いであったとしても

最高の学びの教材になる!

 

わけです。

 

「世界中や将来世代のみんなが幸せに」とマクロ的な幸せ観も大切ですが

 

地域の中にも、

生活者レベルでこどもたちの幸せを願って

こういったイベントを毎年企画してくれている人たちがいる

ということもしっかりと受け止める必要があるなあと改めて感じ、

感謝と敬意の念を抱きました。

 

 

この世界の良くない部分もたくさんあるのかもしれませんが。

「この世界は美しい」と信じて、

良い悪いもなく全てを生かしていけるといいなあと。

 

ゴミひろいからの学びでした^^

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