代表ブログ

2019511

道徳的に生きることに”素直に”なれる社会になったらいいなあ

幸せの定義はもちろん人それぞれだと思います。

 

しかしながら、

全ての人に通底するものはあるように思ったりします。

 

幸福=道徳的に生きること

 

こうおっしゃる哲学者がおられると聞きました。

 

とても同意です。

 

人間、オギャーと生まれた瞬間から、

公共心や良心を持って生まれてきていると信じてます。

 

ミラコラでは、

基本的に「道徳心を行動にする」をテーマにしています。

小学生たちは、それがとっても楽しそうに、

まるで新しい遊びを手に入れたような感覚で

無邪気に取り組みます。

こうした姿を見ると、

あー、やっぱり

「幸福=道徳的に生きる」

ということが、本当にそうだなあと実体感できます。

 

ところが、

あるミラコラキッズがこんなことを言っていました。

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人の役に立ちたいとか、

地球上のみんなを幸せにしたいとか、

学校でそんなこと言ったら結構浮いちゃうよ。

こんなこと素直に言えるのはミラコラだからだよ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

なるほどなー。

小学生でも、早くも社会の縮図が起こっているんだなあ。

 

でも、本当は道徳的に生きることに喜びを感じているにも関わらず、

なぜそれが「恥ずかしく」思えてしまうのだろうか?

 

大人の世界でもよくありますね。

 

私も、よく周囲から

 

あなた真面目だねー

いやー立派ですねー

 

と茶化されたりしますね^^

 

 

小学校では道徳の授業があって、

道徳的に生きることを学んでいるはずなのに。

知識レベルでは「道徳」を学んでいるのに

授業から離れると、はい元の日常生活〜!

 

という感じなのかな?

 

本当は誰しもが道徳的に生きることをしたいはずなんだけど

 

それ以上に、日々の生活に追われていて、心の奥底ではもどかしい思いをしているのかな?

 

効率化により良心を見失ったり

勝ち負けや損得に振り回され、

道徳的に生きると損をする

そんな感覚になってしまうのかな?

 

ある高校の先生が

道徳的に完成された人間を目指す!とこころざし、

生徒のみんなと一緒に盛り上がり始めたお話を聞きましたが。

共感してくれる先生はまだいないそうです。

 

 

うーん。

 

幸福=道徳的に生きること

 

がスタンダードになればいいのになあ。

 

でも、

 

あなた!道徳的に生きなさい!

と、命令してもきっとそうはならないでしょうね。

 

もちろん

道徳的に生きることを

押し付けてはいけませんし、

押し付けるつもりもありません。

 

あくまで、

提案するのみ!

 

さりげなく

道徳的な行動ができるような機会創出をすること。

そうすれば、

理屈ではなく、

「あー、なんだかか気持ちいい!」

という感覚になるんじゃないかなあ。

 

そういった機会創出になるような「商品」を生み出したい!

そういった機会創出になるような「事業」をつくりたい!

 

商品を使えば使うほど、

さりげなく「道徳心」が育まれる商品や事業

 

これをミラコラのこどもたちと一緒に生み出していきたい!

これを人材コンサル先の企業の皆さんと一緒に生み出していきたい!

 

そしてそのプロセスこそが

まさに「道徳的に生きること」の実践と経験になるはず!

 

道徳的に完成された人になる

おそらく世界中に「完璧」な人などいないと思いますが。

 

その究極な目的を見据えつつ

常にみんなと一緒に発展し続けていく幸せ感を味わいたい!

 

そんなことを思う一日でした。

 

ありがとうございます、感謝。

 

 

 

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