長久手の「哲学の道」

この道は私が子どもの頃に、地域の方々が作ってくれた遊歩道です

時には、友達と「葉っぱレース」で遊んだり
時には、マラソン大会で優勝を目指して、毎日のようにトレーニングをしたり

この「せせらぎの径」は、私の成長には欠かせない貴重な「道」でした

大人になった今でも
私は「せせらぎの径」を歩き続けています

仕事のアイデアが出ない時、この道をただただ歩きます
葛藤で苦しむ時、この道をひたすら歩きます
誰かの幸せを願いたい時、この道を祈りながら歩きます

「せせらぎの径」を歩きながら
たくさんの葛藤を乗り越え、私の「道」がひらかれていきます

この道には、たくさんの植物がいて、石があり、川が流れ、
虫や鳥などの動物も生きています

この遊歩道の景観を守ってくれる人たちがいます

この「せせらぎの径」という場所で
森羅万象たくさんの命が「自らの道」を歩み続けているのです

京都に「哲学の道」という名所があります。
日本を代表とする哲学者「西田幾多郎」が
毎朝この道を歩いて思想に耽っていたことにちなんで名付けられたそうです。

これからもたくさんの人が
100年後の皆さんの幸せを願ってこの「せせらぎの径」を歩くことでしょう

たくさんの人が、この「せせらぎの径」を歩きながら
多くの葛藤を乗り越え、「自分の道」をひらいていくことでしょう
たくさんの人が、この道で「志」を立てていくことでしょう

100年後も、
今と変わらない景色で「せせらぎの径」が残っていることを願っています

100年後のみなさんは
何を願い、何を考え、どんな志を持って「せせらぎの径」を歩いていますか?

100年前の私たちの願いが届いていることを願って

山田 将史