プロセスの教材化 「教える」について深掘り
「教える」ということ
ここは実はとても慎重になる必要性を感じています。
なぜかと言うと
教えられることで、
ある程度の結果(成果)は出ると言うメリットは出るのですが。
同時に「失敗から学ぶ」という思考を停止してしまうことにもつながります。
タナットネイチャーラボの山岸さんもおっしゃいますが。
「教える」というのは、
ある意味、「こうであるべき」という固定概念化とも言えるわけです。
これが行き過ぎると
「こうでなければならない」という
自分の価値観や定義を押しつけてしまう人を群生してしまう恐れもあるわけです。
ただ、誤解をしていただきたくないのが
「教える」ことがダメと言っているのではなく。
「自分で考えて、自分で学ぶ」
というプロセスを大切にしたいなあ
ということです。
実践する中で、チャレンジをすれば必ず失敗をします。
その中で、なんとかこの失敗を乗り越えたい!
と思い、工夫や改善をします。
自分の工夫や改善でうまく行けば、
最高の経験価値になるわけです。
ところが、それでも、うまくいかないこともあって。
くそー!もっと良い方法はないのだろうか?
といった情動がはたらけば、
知識を得たい!手法を知りたい!と、
自分で「調べたり」「教え手を探す」ようになるわけです。
これが能動的な学び。
アクティブラーニング。
なんども言いますが、
「教える」ことがダメなわけではなく。
「教える」というのを
状況に合わせて使いこなすと良いんだろうなあと思っています。
表面的に、緊急的に、結果(成果)を求めるのであれば、
まずはレクチャーをして教えた方が早いでしょうね。
ある程度の知識がないと、
何も始まらないのであれば、
まずはレクチャーが必要かもしれませんね。
もっと大きな大きな結果(成果)を求めるのであれば、
自ら知りたい!という情動がはたらくまで「待つ」ということも重要かもしれませんね。
これを、
本来の目的はなんなのか?を考えながら。
相手の状況(ステージ)を見ながら。
今、どうすべきか?
を考えることも、
実は私たち教育者にとっての
リアルなアクティブラーニングであるわけです。
私たち教育者自身が
最初に、
「指導するというのはこういうことだ」
と教えられると・・・
まさに、それが固定概念化してしまい、
価値観や定義の押し付けをしてしまう危険性もあるわけです。
このバランスはとっても難しい
しかし、逆にいうと、
このバランスこそがとっても面白い!
教えるのではなく
フィードバックする(=問いを立てる)
ことも大切ですね。
ミラコラの「こだわり」の3つ目がまさにこれ。