「〜のせいで」を「おかげさま」に変えること
山田の独り事
過去を受取直して、前向き、かつ肯定的、未来志向で!
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1.私の中の分裂病
〜以前の私は、こんな感じでネガティブな思考を持ってました〜
子どもから大人へと成長する過程での私の中の葛藤。
次のような問いを子どもたちに言われると答えれなくなる私がいました。
勉強で一番だったから、スポーツで一番だったから、だから一体なんなのか?
何のために勉強するのか?
何のための学歴社会なのか?
何のために就職活動をするのか?
子供の頃に良心あふれていた心の情動は、なぜ大人になったらはたらかなくなってしまうのか?
本来の会社の目的ってなんなのか?
売上や利益が目的なの?シェアを広げることが目的なの?
なぜ会社は従業員を評価するの?
なぜ精神疾患がこんなにも多いの?
答えが出せないことで、
どこかで、私が悪いのではなく、社会の方が悪い
という意識を持っていました。
2.経験価値を受取直す
〜ここ最近はこのようにポジティブな思考に変化してきました〜
「分裂病」を否定するのではなく、「分裂病」を生かすことはできないのか?
学歴社会も、画一化教育の問題も、就職活動における産業化によるミスマッチも、当時の戦後日本の復興のために必要だった取組の副産物なのではないか?
精神疾患の問題も、環境破壊の問題も、戦争の問題も、
どこかの誰かの良かれと思って行った行動が、予想外にいびつになり、
表面的に別の問題としてでてきただけのことなのではないか?
ひょっとすると、こういった問題があるおかげで、
わたしたちの「やるべきこと」=「使命」がうまれる。
先人たちの「思いやり」の積み残しが
「問題」という形で、私たちへの「お役目」というプレゼントを残してくれたのではないか?
むしろ感謝じゃないのか?
問題意識をポジティブに捉え直した瞬間に、
さまざまな見え方が変わってきました。
そうなるとですね、過去のさまざまな出来事に感謝をできるようになりました。
そして、もっと恩返ししたい!もっと将来世代に恩を送ってきたい!と
ワクワクする感情がめばえてきました。
毎日が「おもしろくてたまらない」ようになってきました。
つまり。
「おれが社会を変える」「だれかのために」という義務感、エゴ感から、
「一緒によりよくしていこうよ!」という公共心が芽生えてきたわけです。
愚痴や不平不満が悪いのではない。
愚痴や不平不満をそのまま放ったらかしにすることが問題。
そもそも、「愚痴さん」「不平不満さん」をオギャーとこの世に誕生させたにも関わらず、放ったらかしにしたら、「愚痴さん」「不平不満さん」もいつまでたっても昇華できないじゃないですか!
「愚痴さん」「不平不満さん」を生かさないと、可哀想じゃないですか!
「〜のせいで」じゃなくて「〜のおかげさまで」に変えようよ!
「愚痴さん」のおかげでと、何かの改善やお役立ちに変換しようよ!
このように
心の中の本来の自分が勝手にしゃべっていました。
この言葉から
あることに気づきました。
「〜のせいで」という言葉を使った瞬間に「自と他」を分けているもかもしれない
「〜のおかげさまで」という言葉を使った瞬間に「そのものと一体化できる」のかもしれない
「1万年前の縄文人のおかげで」と思った瞬間に、
自分のDNAの中にある「マコト」が作動する
3.私のマコトのはたらき
一人ひとりの「本来性」「良心」「公共心」を信じること
一人ひとりの内なる「自然感覚」を自覚し、行いに変えること
せっかく生まれてきた「いのち」
どうせ私なんて、私なんてこんなもんだよ、生活のために働いているんだよ、
僕には無理だよ、難しいよ、
なんて、そんな嘘つかなくても大丈夫だよ!
大切な「いのち」をそんなに粗末な言い方しなくても大丈夫だよ!
「本当のあなた」はもっと躍動したいんでしょ?
だったらさ、一緒に「いのちを躍動させようよ!」
私たちには、たくさんの「お役目」があるからさ!
そのお役目、一緒に探さない?ひょっとすると、実は足元にそのお役目あるかもよ?
というように、ここ数年で、
私の問題意識は、どちらかというとポジティブな問題意識へと変わっていきました。
だたし、ネガティブ、ポジティブ、どちらも本当の自分だと自覚しています。
どちらが良い、悪いでもありません。
4.ともに未来をつくる
ミラコラを実践していて、気づいたことがあります。
誰かのために、というよりも、誰かの志を支援する。いやいや、支援するというよりも、志を共にする。志を行いに変えた小学生は大人になったら、また未来の小学生の志を共にする。これであれば、誰も閉ざすことはない。全て「私」の内発的な良心に基づいた主体性を発揮した社会になる。そして、それが「私」だけでなく、国境を超えて、時空を超えて連鎖していく社会になる。
まさに、自然感覚(公共心)に満ち溢れたこどもたちの「願い」に大人が賛同し、マコトが響き合う。子どもが変わると、社長が変わる。大人が変わる。お母さんが変わる。お父さんが変わる。地域が変わる。社会が変わる。文化が変わる。100年後が変わる。1万年後が変わる。
世界中の人たちの願い(志)が、将来世代とともに、
1万年以上先まで生き続けられる。
人生100万時間の使い方が変わり、生き方が変わる。
不自然感覚の産業社会構造は、マコトのはたらきあう自然感覚の産業社会に変わる。
良心を閉ざすA型採用市場から、よりよい社会を生み出すためのW型採用共働態へと変わる。
学歴や就活を目的とした学校教育も、人生100万時間の使い方を育む共に学び合う教育へと変わる。
そんなイノベーション文化を生み出す能動的コミュニティを、子どもとともに、企業とともに、お母さんとともに、実現することができる!
特に、今年は一企業の中でミラコラキャリア塾を運営するというチャレンジができそうです。
地域の企業が、地域の子どもたちと一緒に、
公共幸福を生み出す新たな事業を創出することを通して。
実践型の社員教育が実現できます。
子どもたちの公共心をはぐくむためには、ファシリテーターがマコトで生きる必要があります。あるトレーニングをすれば、マコトのファシリテーターが誕生します。マコトのファシリテーターは、人のマコトを引き出す力を手に入れることができます。さらにはマコトの事業を生み出す力を手に入れることができます。ミラコラキャリア塾を運営するだけで、社員の育成につながっていくのです。同時に、そこで育った子どもたちは、その企業に大いなる感謝をします。将来、その企業に就職するかもしれませんし、別の企業に就職したとしても、未来永劫、その企業のファンであり続けます。そのお母さんたちはファンを通り越してエヴァンジェリストとして、その企業を支えていきます。
もはや、社員は自社の社員だけという狭い考え方ではなく、地域住民みんなが社員になっていく感覚。そこから生まれる新規事業は、もちろん公共幸福を生み出す事業なので、自社だけの利益追及ではなく、他社と共に、真の利益を生み出していきます。
このように、
ミラコラを目的とするのではなく、
ミラコラを手段とすることで、
さらなる広がりが見えて見えてきました!
もっともっと、
アクティブなイメージをふくらませ、
ここからさらに実践です!