ミラコラキャリア塾「10月度 ワンデー授業」午前の部 ~歴史の偉人に学ぼう 漫画の神様『手塚治虫』~
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ミラコラキャリア塾「10月度 ワンデー授業」レポート
10月ワンデー授業 午前の部
~歴史の偉人に学ぼう 漫画の神様『手塚治虫』~
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季節は10月
秋も深まり始め
日陰は肌寒く
日向に出るとちょっとばかし暑さを感じます
季節の変わり目ということで
お体ご自愛下さいと言いながらの――
10月のワンデー授業です!

ではさっそく、午前のワークを始めていきましょう!
今月のワークは……

久方ぶりの
歴史上のパブリックイノベーターから
学ぶワークです
今回紹介するパブリックのベーターは
漫画の神様という異名を持つ偉人
手塚治虫
その人です
キッズたちが生まれるよりもずっと前に
亡くなってしまった方ですが
その名前はキッズたちも知るところ
『鉄腕アトム』や『ブラックジャック』など
彼の漫画もキッズたちは知っていました
そんな手塚治虫さんの生涯に
今回は学ばせてもらいます


さて手塚治虫さん
大阪府は豊中市のご出身
1928年 昭和時代に生まれました
生家には何百冊という漫画や絵本があったそうで
子どものころよりもっと前
物心つく前、お母さんのお腹の中のころから
漫画に囲まれて育ってきたのだそうです
そんな漫画や絵本に埋もれて過ごしたこと
お母さんが読み聞かせをしてくれたこと
とことん漫画に没頭する日々を過ごした手塚少年
身の回りに当たり前のように
存在していた無数の漫画に興味を示すのは
当然のことかもしれませんが
手塚少年には、もう一つ気を惹かれることがありました
それが昆虫
虫さんが大好きだったんだそうです
タモをもって野原を駆けまわり
友だちの石原君といっしょに虫を捕まえて
キャッキャキャッキャとする日々
なんと見つけた虫さんのことを記録し
「昆蟲の世界」という手書きの本まで作成したんだとか
じつは
手塚治虫の『治虫』は
昆虫の『オサムシ』に由来しているのだそうです
それほどの虫好きだったことがうかがえますね

さて小学校時代の手塚少年
学校では
『ガジャボイ』という変なあだ名を
付けられたんだそうで
『ガチャガチャ動きまわる男の子(ボーイ)』
「ガチャ」 = 「チビ」という意味
真偽は不明の諸説ありですが
ヘンなあだ名で呼ばれていた手塚少年
小学校になって彼は
ついに自分の手で漫画を描き始めました
小学五年生にして
ノート一冊分の漫画を作り上げ
友だちやクラスの子に読んでもらい
なかなか好評をもらっていたんだとか
その漫画を発見した乾(いぬい)という先生がおりました
乾先生は手塚少年の漫画を見て
それを職員室に持ち帰ってほかの先生たちにも見せたうえ
「ドンドン描けよ!」
そういって
手塚少年を激励してくれたんだそうです
その後押しもあって
手塚少年はますます漫画にのめりこんでいきます
しかし手塚少年の没頭と逆行する現実がありました

それが第二次世界大戦です
手塚少年も当然のように動員されます
毎日が労働の中で過ぎていく中
しかし手塚少年は漫画を描き続けました
それほどの没頭状態にあったというのもありますが一番は
『自分の描いた漫画で、みんなが笑ってくれること』
これが手塚少年の動機でした
辛く苦しい時代の中
自分の力で何かできることはないかと考え
大好きな漫画の力を使って
手塚少年は、絶えず周囲に笑顔を届け続けていたのです
1945年
終戦の手前
手塚少年は大阪で大空襲の被害にあいました
なんとか自分の命は助かったものの
多くの死傷者の姿が手塚少年の脳裏に焼き付きました
この時代、自宅の無事を確認するすべは
自宅に赴くほかありません
空襲の被害で道を歩くこともままならない中
手塚少年は岐路につきます
何時間も、何日も歩き続け
食料や水もそこにはありません
余りの空腹についに耐えられなくなった
手塚少年は、誰しもに物資が欠けていることをわかってなお
近くの民家に助けを求めることしかできませんでした
「食べ物を分けてはくれないか」
断られると分かっても
言わずにはいられないほど、空腹に襲われていたのです
しかし、なんと――

その家の人は、自分達も食べるものに困っているだろうに
おにぎりを三つも分けてくれたのです
どれほど苦しく、どれほど過酷な状況にあっても、
どれほどの凄絶さを見せつけられても、
人のやさしさや、人の心はそう簡単に失われないという事実が
この経験を通して手塚少年の胸に強く刻み込まれました

どんな時代もいつかは終わりをつげ
次の時代が始まります
じつは手塚少年が中学のころ
とある事故で両腕を失いかけたことがありました
それを医学によって救われたことから
手塚少年は医学にも関心のある少年でした

現在の大阪大学、その医学部へ入学し
戦争中に不足する医師の補佐を行うような機関へ入り
医療を本格的に身に付けていきます
そんな風に医学、医療を学びながらも
漫画を描くことは止めなかった手塚少年
自身の描いた漫画を
新聞社などへ積極的に持ち込み
1976年、当時十七歳の手塚少年は
ついに『マアちゃんの日記帳』という連載が開始します
しかし手塚少年
プロの漫画家として活動を初めながらも
医学を学ぶことは止めず
プロの漫画家を続けながらも、医師免許を取得します
気になるところですが
この続きは、来月に――

さて、キッズたちに聞いてみたいのは
手塚治虫の子ども時代の軌跡をたどって
どの出来事が手塚少年に
強い影響を与えたのだろうか? という疑問
手塚治虫の作品と言えば
現代社会にまで大きく影響を与えるような
社会への提言、風刺が示されているものばかりです
そのチカラはいったいどの経験から育まれたのか
キッズたちに考えてもらいます

次回は手塚治虫の青年時代以降を
深掘りしていきます
また来月です!
山形県に『加茂水族館』という水族館がありまして
その水族館の特徴は
『クラゲ』に特化している点
100種類以上のクラゲを展示しており
世界一のクラゲ水族館として名高いのだそうです
例えばその水族館のように
究極的な一点特化ならば
周囲の目を引くことも叶うかもしれません
しかし、一つだけを極めて衆目を得ること
自分の望みをかなえることは
そう易々と叶うものではありません
一点特化とは言いましたが、加茂水族館も
ただクラゲを展示するだけではなく
クラゲの生態の紹介方法だとか
クラゲが映えるようなライトの当て方、水槽の形などなど
とても工夫されているのだそうです
手塚治虫は漫画の神様ではありますが
医療だけでなく、仏教哲学にも造詣が深く
それを得るための努力を欠かさない人物でもありました
だからこそ、手塚治虫の作るマンガは
より深い内容となり
現代でも評価されるようなものなのだと思います
自分には○○があるからいい
自分は○○ができるからいい
そんな得意を見つけることもとても大切なことですが
その一点だけでなく
もっと貪欲に様々を獲りに行くこと
その姿勢でいつづけること
それこそがどの時代になっても大切なのではないでしょうか
ミラコラで大切にしていることの一つに
「他プロジェクトも自分事」という考えがあります
誰もが自分のできることをしっかりこなしつつ
周囲にまで気を配れるようになれば
世の中にある多くの問題もきっと解決できますよね
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