革命は一人で行うものではなく、みんなで行う「新たな世界史への文化創造」
WPHの勉強会でした。
今回の語り部は
WPHの理事でもありますタナットの山岸さん。
分断、分裂された社会に対して、
超自己革命をおこしたい!
という志!
人類の文明史としてのプロセス
①人類革命(200万年~1万年前)
②農業革命(1万年~5千年前)
③都市革命(5千年~2千5百年前)
④精神革命(2千5百年前~15世紀)
⑤科学革命(16世紀~20世紀)
⑥環境革命=超自己革命(21世紀〜)
山岸さんがおっしゃるには
農業革命あたりから地球を痛める歴史が始まったのでは?とのこと。
しかしながら、それがダメだから元の縄文時代に戻ろうよ
と言っているのではなく。
否定するのではなく
全てを生かしながらみんなで一緒に公共幸福を目指していこうよということ。
山岸さんの志は本当に素晴らしく、
心からワクワク同感しています。
さて、ここからは
私が感じたことですが。
この人類文明史は
「人間の欲望(エゴ)の歴史」とも言えるし、
一方では
「人間の愛の歴史」とも言えるなあと。
みんな「良かれ」と思っての思いやり。
ただそれが、人間軸に行き過ぎただけ。
見えていなかったものにも愛情を注ぎ、
人間以外の心の声を聴いていけば
愛の対象が変わってくるのではないかな?
それともう1つ
革命というと、
おれが変えてやる!
というイメージがありますが、
そうではなく。
みんなで変わっていこうよ!
共に公共幸福の道を歩み続ける
WPH = Way of Public Happiness
ということ。
革命というよりも
新たな世界史への文化創造
と言った方がニュアンスは伝わりやすいのかも知れませんね。
電気工事事業を営んでいた山岸さんが
超自己革命を実現するためにとった手段が「農業」
農薬や化学肥料に囚われた農業ではなく
自然感覚の農業をしたい!
しかしながら、
いざ、自然農法を進めていくと、
「自然農法とはこうあるべきだ」
「あいつの自然農法は違う。おれのやり方が正しい」
と
自然農法のやり方に囚われている人たちがいる現実
ここで大切なのは
「自然」の定義。
山岸さん的には
「自然」とは、愛であり、マコトである
そう定義すると
やり方に囚われる時点で自然ではなくなってしまう・・・
まさに
自然のつもりが
「不自然な自然農法」をしていた・・・
ことに気付けるかどうか?
これって世の中の縮図かもしれませんね、
教育業界でもよく見られる現実です。
知識偏重の学校教育への違和感
もっと自由な教育をすべきだ!
これが教育のあるべき姿だ!
と、自由論を押しつける不自由さ。
私、否定する人大嫌い!
と、否定を否定するというジレンマ
つまるところ
どれだけ素晴らしいことを言っていても、
それを押し付けたり、
「これが正解だ」と絶対化した瞬間から
その正解に囚われ出していく
これは
自然(愛、マコト)ではなく
不自然(囚われ、エゴ)
じゃ、自分の中の「正しい」を出しちゃいけないのか?
というと、そういうことでもなく。
「これが正しいのではないだろうか?」
と仮説を立てつつも、
常に、本当にそうかな?
もっとより良い方法があるのではないか?
と、深め続け、高め続けることが大切なのかな。
ある方がおっしゃっていました
良い、悪いを論じているうちは「マコト」ではない
本当の「マコト」であれば、
そんなことを論じている暇もなく、
行動を起こしているはず。
本当にそう思います。
良い、悪いではなく。
全てが、真実へ向けて発展途上中のプロセス
と捉えれば、全てOK!と思える。
ただ、OKで止めるのではなく、
どこまでも深め続け、高め続けることが大切。
一人ひとりが
このように考え、行動を起こしていくことこそが、
革命=新たな世界史への文化創造
になっていくんだろうなあ
ということでね。
私も、
ミラコラだけに囚われ、
ミラコラだけにとどまっていても
小さいなあと気づきましてね。
ミラコラを超えて!
他のキャリア塾も、
学習塾も、スポーツのクラブチームも、
全てが仲間になれる方法が頭に浮かびました!
もう少し深めてリリースしていきます!!!